2011年08月11日

別れ

9日、お祖母様がご逝去された。
他の祖父母はずいぶん前に亡くなっていたので、最後の一人だった。


ずっと名古屋に一人で住んでいて、最後の3年は広島の老人ホームだった。
最初の頃は、名古屋に帰りたいと行っていたおばあちゃん。
広島に良く会いに行くようになった頃には、殆ど会話も出来なくなっていて、
昔遊びに行っていた時に昔話とか全然聞かなかったのをずっと後悔しているうちに死んじゃった。
 

 
容態が急に悪くなってきたと連絡があったのが、7日の夜だった。
顔面痙攣があり容態が悪いとのことだった。
母は、それではピンと来なかったようだが、私は、脳梗塞の可能性を危惧した。
よくよく話を聞くと、1週間前から食欲減衰があり、状態が落ちたとのこと。
遅発性痙攣だろうかと思った。


次の日8日の晩に、脈が触れなくなった。
すぐにでも来て欲しいと母に連絡が入った。
症状の進行が早い。
間に合わないかもと思った。
両親と私で、朝の10時に出発の予定を立てた。
少し時間が遅いのは、私の休みが取れるか問い合わせが必要だったから。
9時20分頃、夜間帯に全身痙攣がありと連絡。
一刻を争う為、すぐに出る。
今がどういう状態なのか、電話で聞いた内容をわかりやすく両親に伝える。


現地に14時30分頃到着。
まだ息があった。
脈が取れないとのことだったが、時間をかけて左手も右手も取れた。
脈拍は落ち着いていた。
P85~90、SAT70%台。
一定のリズムで鼓動があるも、弱い、殆ど触れない。
意識はなく、左頬に痙攣あり。


その日は子供3人に見守られ、子供の連れ合い3人と、ひ孫4人、孫3人。
常に5~6人居る状態で、入れ替わり立ち代り、会話をして騒がしかった。
おばあちゃんも寂しくなかっただろうと思う。


20時におじちゃん(長男)だけ残して、ホテルに戻り食事。
23時にはホテルの部屋に落ち着き就寝間際に、危篤の連絡。
慌ててホームに行くも、看取りには間に合わなかった。


介護の仕事を始めるきっかけにもなっている、祖母の介護。
最後に、看取りのときの家族の気持ちと覚悟、色々なものを勉強させてもらったと思う。
心残りも一杯あるけれど、お疲れ様、おばあちゃん。
今頃、おじいちゃんになんて挨拶してるのかなぁ?


余談①
母方の本家筋に、大森和代さん(霊媒師?)がいる。
今回の訃報を連絡したところ、和代さんから、
「お祖母様が昨晩夢枕に立って挨拶をしていったのだけど、何かあったのか。」と聞かれたそうな。
お祖母様、ご実家に挨拶に行ったのね。

comments

comment form